2021年6月14日月曜日

クロッキー作品〈Drawings〉


It's my drawings.


こんにちは。

6月に入り、だんだん

暑さを感じるようになってきましたね。



私は今まで、ブログでは

自分の作品についてはあまり詳しく

書いてこなかったのですが、


これからは、自分の作品についても

ブログでちょこちょこ紹介していこうかなと

思っています。



今回載せるのは、クロッキー作品。






クロッキーデッサン。
「自画像」(鉛筆)
(2009年)





クロッキーデッサン。

「自画像」(鉛筆)

(2006年)




2枚とも、自画像。

鉛筆画です。


スマホで写真を撮って

明るさなど色々と調整した結果、

鉛筆の線が濃く写ってしまいましたが…


実物の鉛筆の色は、もう少し薄めな感じです。


作品の写真を撮るのって難しい…。



絵を勉強したての、ほんの最初の頃は、

「自画像」制作の課題があると、


自分の顔をこんなに長時間、

鏡でまじまじと観察しながら、

自分の顔の作りを、自分で客観的に分析して

自分の顔を、自分で描く、


…ということに、なんというか

若干の違和感や気恥ずかしさみたいなものが

あったような気がします。


ですが慣れてしまうと、

自分の顔をただのモチーフのひとつとして、

自分の顔に対して何の感情も湧かずに、

冷静に観察して制作できるようになりました。



学生時代、毎日毎日、

長時間予備校で絵を描く日々を送っていると、


「物の見方」「視点」「着眼点」、

みたいなものがだんだん麻痺してくるというか、


自分の目に映るすべてのものが

作品制作のための

「単なるモチーフ」に見えてくる、

という感覚になっていたのを覚えています。


ふと、人を見るときは、

「人体」という感覚で見てしまっていて、

「この人は描きやすそうだな」とか

「この人は描きづらそうだな」とか、

無意識にそんな風に捉えていたり。


日常的に、なにか物を見るたびに

これは「描きやすそう」なものか

これは「描きづらそう」なものか、

そういう風な見方で物を判別していたし、


ふと道端で、電柱や信号機などを目にしても、

たとえば、ネジやファスナーやメガネだとか、

ごく身近にある日用品などを目にしても、


「もしこれを描くとしたら、どう描くか?」

「このモチーフを作品に応用出来るか?」

だとか、そんなことばっかり。


絵を勉強していた学生時代は、

頭の中が、常にそんな感じでした。

懐かしい日々です。



そういえば最近、「自画像」を

久しく描いてなかったような気がする。


たまにはまた「自画像」を

描いてみようかな。



*Mizue*








「日野市立新選組のふるさと歴史館」〈Shinsengumi History Museum〉

  I visited “The Hino City Shinsengumi Hometown History Museum”. In Hino, Tokyo, Japan. 2022年 4月某日 東京都、日野市にある 「日野市立新選組のふるさと歴史館」を訪れました。 歴史にそこ...